教養があるかどうか!?
夫婦のどちらかが50歳以上になると・・・映画館では、夫婦割引を使えるようになる。通常なら、ひとり1800円の映画代。夫婦で行ったら3600円。これが、夫婦ふたりで2200円になる。断然安い。だから、時間潰しには、ちょうどいい。
しかし、問題が勃発する。大概の場合、奥様の観たい映画に、旦那の方が付き合うことになる。「アウトレージ最終章」が観たくてもそんなことは言えない。奥様が観たいというアカデミー賞受賞作品「ドリーム」になるわけである。
こうして50歳を超えると夫婦ふたりの日常が多くなっていく。子どもたちは、もう自立している。親父のことなどATMである。かくして、週末は、嫁さんのためのアッシー君である。足である。ショッピングの間は、ひたすら待つしかない。待ちぼうけである。
敬愛する中島らも氏は、「教養とは、ひとりで時間を潰せる能力である」とおっしゃっていた。50代になって必要なのは、この「教養」なのである。
自分の観たい映画を押し通すなんてもってのほかである。ショッピングに付き合っていたら足手まといになるだけである。舌打ちされて終了である。
そっとひとりになることである。スタバで珈琲を飲みながら本を読む。スマホを開いて社会情勢をチェック。愛人がおられる方は、ここぞとばかりにメールで愛のメッセージを送ればいい。
50代の男の日常は、とにかく孤独なのである。
嫁さんを、子どもたちを、職場の部下たちを、もうギュッと抱きしめる立場にはない。そんなことした日にゃ、いろいろと問題が生じたりもする。「教養」を養わないと酷い老後を送ることになる。ひとりで時間をつぶす技術を早いうちに手に入れるべきである。
ワタシは近頃、50代に必要なのは、「禅」の思想のようなものではないかと思い出した。