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悪質タックルを一刀両断してみる!!!

コラム 伝えたいこと

日大アメフト,タックル,謝罪,監督,コーチ,倫理教育,

なぜ、ゴメンと言えないのか。

日大アメフト部の悪質タックルの話題が世間を騒がせている。ルールを無視してタックルする部員は、悪い。それを指示していたとしたら、監督やコーチは、もっと悪い。その真相もわからないうちに、全面否定をする日大の広報ときたら・・・ただのバカである。

なぜ、みんながみんな、ゴメンと言えないのか?きちんと向かい合って謝罪し挽回しようとする方向に向かわなかったのか?素直に謝罪して得られるものより、社会的に抹殺されるような捏造リスクを負う方が良いと選択してしまうのか!?背筋が寒くなるほど稚拙である。

社会は何事もなく動いていくものである。

高校の時の話である。中間や期末テストの準備を一夜漬けでしかできないワタシは、何度も寝過ごして、何度も最悪の朝を迎えた。その度に、テストを受けるのが嫌で死んだふりをした。おふくろが起こしに来るまでのベットの上での恒例の臨死体験である。そんなもん当然のように、おふくろには見破られて、いつものように家を送り出される。結果は、案の定である。そんなアホなワタシは、こうやって立派に生きている。笑

フツーならこんなもんである。死んだふりという、どうせバレる嘘をついてみる。そのバカを諌める大人がいる。そこには、自分が居なくても、自分の悩みなど無視して、社会は、フツーに動いていくものだという常識が根底に流れている。ひとつのテストやひとつの仕事で、命などとられやしない。だから、謝罪の向こうには、微かな灯がいつも点っているのだ。

『全部、お天道様が見ているのである』。

この感覚があるかないかは、大きい。この感覚を身体に刻ませることが倫理教育の基本だと思う。お天道様が見ているから嘘や隠し事はなかなかできないのである。嘘や隠し事をしても、お天道様がこの世は動かしているから、謝罪をすれば、光りはまた当たると考えるのである。

自分の存在や、自分のやっているコトが、何かもっと大きな存在のごくごく小さい一部なんじゃないかって感じたことのある人とない人とでは、世界に対する感覚が根本的なところで違ってくる。何かをやらかしたときの対処の仕方が大きく違ってくる。謝罪することの先にどんな世界が広がるかの想像力が違ってくる。

スポーツしてる。仕事してる。その程度で、何かをやってる気になるから危ない。仕事や売上だけが人生だと、部下を叱責するのが日常になっている会社の仕組みは、脆い。試合に出ることだけがスポーツの目標になったら、そんなもんスポーツでもなんでもない。

アメフトは、お天道様の下でやるスポーツである。
一連の登場人物が、お天道様を見ているとは到底思えない。