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死んでるみたいに生きないで。。

コラム 伝えたいこと

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死んでるみたいに生きてるヒトが増えている気がする。

死ぬのは嫌だけど、いつ死んでもいいと考えてる輩が増えてきている。そういう輩の仕事の判断基準は、「オレ的に、ワタシ的に、面白いかどうか」だと決まっている。いつ死んでもいいと考えてる人達を多く抱え、彼らを保護するための社会的コストを、国はどう考えているのだろうか。不幸だ。困った。

生きていくという価値は、「貴方は死んじゃいけない人」だと思ってくれる人が述べ何人になるかということに近い。死んでもいいと迂闊に言えない状況や環境を創出していくことが、生きる価値を高めるということだ。オレ的に、面白いかどうかの基準で仕事をやっていては、その効率は落ちるに決まっている。

市場の原理は、弱肉強食ではない。刹那的な結果を求めるビジネスモデルへの恍惚は、そんな長続きしない。弱肉強食を議論する企業は、死んでもいい。


お客様に「無くなっては困る企業」だと思ってもらえること。目の前のお客様に「居なくてはならない人」だと思ってもらえる接客をすること。そして、お客様に「生きててよかった」と言わせること。それが、究極のマーケティングだと思う。マーケティングの究極は「脱・マーケティング」。死んでもいいなんて言わない人達が、生きてて良かったというお客様との関係を築く。人間の営為そのものだ。

無様でも何でも生きる気概のある企業がかっこいいと思う。青臭いとか、情熱とか、そんなことが見直される時代に、再度、突入していく。「世界で情熱なしで成就された偉大なものはなかったと確信する」とヘーゲルが言う。生きることに、愚直に、のぼせた奴が、賞賛を浴びる時代がやってきたら・・・もう、死んでもいい。

画像は、ガーナに住むガー族の人々が葬式で使用する棺桶らしい。彼らは古来より伝わる死後の世界を信じており、現世の職業や故人が憧れていたものを棺桶で表現する。人間個人の死は、あくまで現世での成就なのである。偉大かどうか、俺的かどうか、ワタシ的かどうか、それらは、みんな死んでからの社会からのギフトである。