「ヨンキュープラス」49歳以上のおじさんおばさんに正直なメディアをつくってみました。ご賞味ください。

エヴァンゲリヲンがあるから 日本である!

コラム 伝えたいこと

 エヴァンゲリオン,深夜番組,テレビ,福岡,シンジ,

日本を創った神様達が活躍する古事記をご存じだろうか。その内容は、驚愕するものが多い。例えば、天照大御神が、天の岩谷戸に籠もった理由。弟である須佐之男命(すさのおのみこと)の傍若無人なふるまいに怒ったからなのだが、、、、その蛮行とは、姉である大御神の食堂にうんちをまいたり。機織り小屋に、皮をはいだ馬を投げ込んだり。機織女の性器を突いて殺したり。半端じゃない。今なら放送禁止である。

日本は、どうして生まれたのか。
創造主である、神とは、どういうものか。
日本神話には、それが書かれている。

しかし、その内容とは、上記のように、不条理で、非合理で、凶暴で・・・とんでもない。物事の起源を辿るとは、このような混沌に分け入ることだ。
人間が共通に持っている無意識を引きずり出して、答えの出ないものに、答えを出そうとすることだ。・・・という意味において、「エヴァンゲリヲン」は、サイエンスでもなく、フィクションでもなく、まさしく日本神話である。


エヴァは、「人間のあるまじき力」を可視化したもの。


日本神話に出てくる神たちと同じように、私たちは、不条理で、非合理な、凶暴性を無意識に孕んでいる。
それは、理性で語れば「人間のカタチをしていないもの=あるまじき力」である。しかし、その「人間のカタチをしていない」ものを持っているからこそ、人間である。

それを可視化しているのが、エヴァンゲリヲンというロボットである。だから、使途を凶暴に喰らう姿に、私たちの内なる凶暴性が目覚める。
ロボットというカタチをしているのに、エヴァンゲリヲンから血が吹き出ることを不思議に感じない。むしろ、その自傷行為を、実は、心の奥では、期待したりもしている。

このような文脈で読むと・・・たくさんのエヴァ評論にあるように、「エヴァンゲリヲン」は、核兵器そのものであり、人間が作りし「エヴァ」と、人間が作りし「使徒」との終わらない戦いは、「人間が始めし戦争」そのものである。

さしずめ、自分より大きなものに振り回される無力な少年シンジは、我々、日本というところか・・・。

日本再生の物語へ。


「エヴァンゲリヲン」では、執拗なほどに、日本が描かれている。第三新東京市は、昭和の街そのものであるし、年中泣いている蝉の声には、あの懐かしい日本の夏休みがある。シンジ達が通う学校での物語は、一昔前の青春ドラマ。
全編に、日本の原風景が描かれている。原爆に焼き尽くされ、アメリカやヨーロッパから入ってきた文化に浸食をされて消えた街が、「エヴァンゲリヲン」の舞台なのである。

戦後の日本は、アイデンティティーを失った。経済大国として世界に誇れたとしても、世界平和を、率先して語るポジションにはいない。原爆を唯一おとされた国でありながら、反戦活動のリーダー国になれない。むしろ、アメリカの軍事力の前に、ねじ伏せられている。常に、追従するしかない。

だから、穿った見方かもしれないが、「エヴァンゲリヲン」は、脱・アメリカ=日本のアイデンティティー再生の物語としても見ることができる。「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。」主人公・シンジの永遠なる自問自答は、日本の在り方への、大きな問いかけでもある。