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88歳。有田焼人間国宝の物語~その3~神風特攻隊の「ヒナ鷲」だった

コラム 伝えたいこと

「神風特攻隊」の“ヒナ鷲”時代に、屈強な精神力を身につける

休まず、精進し続ける。有田焼の人間国宝、井上萬二さんは88歳の今も実践し続けている。

ただ、現代を生きる人の多くが苦痛に感じることかもしれない。萬二さんの心の強さ、元気の源は、戦時下の少年時代にある。海軍のパイロットを志し、海軍飛行予科練習生に。厳しい上下関係の中で精神力をたたき込まれたのであった。

戦後、有田焼を代表する絵付けで有名な柿右衛門窯で修行。今につながる卓越した技を身に付けた。厳しい修練に耐え抜いたのも、予科練の体験があったから、という。

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井上萬二さん

私の親は有田焼の窯元でした。ただ、幼いころから、陶芸家を志したわけではありません。10代のころは戦争真っただ中。焼き物よりも、戦争を考えた時代なんです。だから、少年時代は軍人になりたくて、海軍大将、陸軍大将になるのを夢みました。

15歳で志願し、鹿児島で海軍飛行予科練習生になりました。特攻隊の、いわゆる「雛鷲(ひなわし)」ですね。親わしが、ひなにえさを与えるのが訓練。そんな、ひなわしの私たちが巣立とうとして、終戦を迎えたんです。戦争が続いていたら、この世にいなかったかもしれません。

ただ、自分の希望で予科練に入ったんだから、死んだとしても、悔いはなかったです。現代の若者には、その時の心情はわからないでしょう。国のためと言うよりも、自分のために選んだ道。今だったらサッカー選手になりたい、プロ野球選手になりたい、という夢と同じ。みんな軍人にならないといけなかった少年時代でしたから。

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終戦後は柿右衛門窯で13年の徹底した修練

終戦後、有田に戻ってきた時には、実家の窯は閉鎖されていました。親の勧めもあって、柿右衛門窯で、勉強の場を与えてもらいました。窯に入った時は無給でした。給料をいただいたら、企業のために働かないといけない。私はただ自分の技術を磨きたかったのです。ただ、給料をもらわずに修行に入るのは、まれなことでした。

そして、柿右衛門窯で13年間、徹底的に技術の修練に励んだのです。磁器というものは、高度な技術が必要なんです。一朝一夕にできるものではありません。作品を巧みに作り出すには、5年も10年も修練を積む必要があります。

よく、「井上さんは技がうまいから」と言われます。それは、当たり前のことで、13年も徹底して修行すれば誰でも技は習得できるものなんです。ただ、普通の人は、4~5年で修行を終え、自分の窯を開いたりする。私は柿右衛門窯で技を徹底的に追求していったわけです。

私は、どうせやるなら徹底的に修練をやる。何事も、人に負けないことをやる。それは15~17ぐらいの若い時。まだ色気の「い」の字もないときに、過酷な訓練と強靭な精神力をたたきこまれた経験から来ているんです。

戦争は絶対に、二度とあっちゃならない。でも、予科練時代の苦しい経験は、心身ともに鍛えられ、今の私にとってのプラスになっているんです。

予科練時代は、普段の生活も訓練も、緊張の連続でした。少しでもミスをすれば殴られるわけです。そこを耐えて、耐えて、耐える。先輩からどんな制裁を受けようとも、敵愾心(てきがいしん)を持たず、自分の勉強だからと、ひたすらに耐える。そうして、精進してきた心を持っているから、私は何事も徹底して努力できるのです。

努力は大事です。誰でも、どんな分野でも、13年間、一生懸命にやれば、何かを成し遂げられるものなのです。

 

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