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88歳。有田焼人間国宝の物語。~その4~人生の壁の破り方

伝えたいこと コラム

初代奥川忠右衛門との出会い

ぶち当たった壁をやぶるきっかけに

有田焼の重要無形文化財保持者の井上萬二さん。卓越した技術で有田焼に白磁という新風を吹き込んだ人間国宝も、壁にぶつかったことがあるという。

萬二さんも、壁に当たった時、世の中の多くの人と同じように、「辞めようか」と考えた。壁をぶち破るきっかけは、「人との出会い」だったという。

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井上萬二さん

私は終戦直後から、柿右衛門窯で13年間、修練に励んだと話しました。ただ、修行も7年したら壁にぶち当たったんです。7年たっても給与はいただけないし、果たして、どこまで修行したらいいか。当初は技を学ぼうと修行に入ったわけですが、20代になると金もほしいし、世の中の事情もわかってきて。誰でも壁にぶち当たった時には、やめようかと思いますよね。

壁をやぶれたのは、やっぱり人との出会いなんですね。悩んでいた時、大きな夢を与えてくれる人に出会えたんです。それが(大物ろくろ師として名高かった初代)奥川忠右衛門さんです。

奥川さんはフリーな立場の方。他の追随を許さない、卓越した技を持ち、有田焼きの各窯でひっぱりだこの人でした。柿右衛門窯に来られた時、その技に驚嘆しましてね。まさに神業。給与も他の技術者の3倍もいただける人でした。焼き物をやるなら、この人に近づきたいと思いまして。奥川さんの門をたたいて、技術を学んだんですね。

夕方、奥川さんの自宅に行って技を教えてもらいました。そして、磁器の修練に入って13年たったころには、私も有田でも有名な存在になっていたんです。奥川さんの域に達しないまでも、私も、各窯からひっぱりだこで、高い給与をいただけるようになりました。

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ただ、私には一介の職人で終わりたくない。そんな気持ちがありました。そこで13年修行した柿右衛門窯を離れ、窯業(ようぎょう)全体について学ぼうと、佐賀県窯業試験場の技官になりました。そこで、ひたすらに窯業一般の勉強を13年間しました。

修行に13年、研究機関で13年。私の人生は、13年周期なんです。

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