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幕末長崎出島に豪商ー女傑 大浦慶ありー

コラム 伝えたいこと

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2018年1月20日 本日は大浦慶さん。

昨日は長崎に泊まり。今朝福岡へ戻り。現在オークラで会議参加。慌ただしい日々です。皆様いかがお過ごしでしょうか?天気のいいさほど寒くない昼下がり。本日は、大浦慶さんについて。ちょいと文章書かせていただきます。それでは、はじまりはじまり。

時は文政。此処は長崎鍛冶屋町。今で言う思案橋から商店街抜けたところでございやす。油商人大浦太平次と佐恵の娘として慶さん誕生でやんす。賀古市郎右衛門の次男であります大五郎が大浦家へ婿養子と入りますが、慶さん9歳のときに亡くなられます。その後、大浦家は財政難となり、更に追い打ちをかけるように、長崎市内大火事が起き、大浦家はとどめ刺される大損害を受けました。それを境に、この慶さんは、大浦家復興に尽力するのであります。

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出島がある。長崎には。

そう想ったのかどうかは定かではありませんが、大浦慶さん。出島に訪れる紅毛人さんと呼ばれていたオランダ人の方々に、嬉野茶の仲介人として、イギリス・アメリカ・アラビアへの輸出業を始めるのである。それから3年のときが流れる。イギリスから商売人W・J・オールトが来航。そこで巨額の注文を受ける。結果、嬉野茶だけでは足らず、九州一円の産地に出向き、やっとのことで茶の葉をかき集め、アメリカに輸出することに成功。これが日本茶輸出貿易の先駆けとなりましたとさ。安政から慶応までの約10年間。大浦家は全盛期を迎え、その名は全国に轟くこととなった。その後、騙され失墜していくのであるが、それはまたいつの日か。

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大浦慶さんを尊敬する。このグローバルな時代だからこそ。

おそらくその当時、この日本という国には豪商と呼ばれるオジサマ方は、ぎょうさん居はったんじゃないかと。思われます。勝手ながら。だけれども。この海外貿易で巨額の富を得たという話になると、荒木宗太郎さんや末次平蔵さんとか。居たんだろうけども。なんとなく大浦慶さんすごいなあ。成り上がってるなって感じます。男ばかりの時代にですよ。女傑としてしかもグローバルに生きてはる。憧れますね。

これから日本経済、マーケットは確実に小さくなる一方です。こういう大浦慶さんみたいな人が突如現れ、アメリカンドリーム並みの成功を勝ち取る。そんな日が再び訪れるといいですね。

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話はだいぶ変わりますが。お茶なんですけど。

ペットボトルのお茶は有料で、ちゃんと急須から濯いだお茶は無料。前々から疑問を持っておりましたが、この風習。なんとかしたいな。って思いませんか?だって茶の葉で出したお茶のほうが美味しいじゃん。と。昨日そんなことを考えながら、お茶を長崎で飲んでたんで、大浦慶さん悲しまないかな?と思ったので。ちょっと一筆持った次第でした。良い週末を。お過ごしください。

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