席亭・中村修治 作・中村亭ショーイチ
ええ、今日もようこそのお運びで。
美術骨董品の目利き、玄人と素人はどこが違うかというと、これは話し方が違うそうです。
例えば「このツボはいくらの価値がありますか?」と尋ねますと、玄人は「100万円ですね」と言いますが、素人は「100万円です」と答えます。玄人は最後にはきちんと「ね」をつけます。対して素人は「ね」を付けない、・・・「値」を付けられないのが素人だそうで。
さてさて、昭和の初めのころの、どこかの街のお話でございます。
若いもんがウダウダと言うております。
喜「おい安、気に入らんなぁ、あの若旦那」
安「わしもや、喜ぃちゃん。あの知ったかぶりやろ?」
喜「それや。一応は町内一の大店の跡取りさんや。顔合わしたら愛想も言うがな。」
安「言う言う。」
喜「この前も道でばったり会うてな、若旦那さん、ええお天気ですな、って言うたんや。」
安「ほう、そしたら?」
喜「君ぃ、ええ天気とは具体的にどういう天気や、と来た。」
安「来よったかぁ。」
喜「まあ、その、ええ天気とは青空で、ちゅうたら”君、それじゃあ相手に伝わらん。青空にも色々ある。僕のようなものになるとね、これは印象派の西洋画にあるような青空ですなと言うね”と抜かしやがる。」
安「そうか上手いこと抜かしやがりはる。さすが。」
喜「お前、わかるんか?」
安「ははは、自慢やないけどな・・・で、その印しょー派って何でしょー?」
喜「何や。わしもおんなじこと聞いた。」
安「ほいで?」
喜「そしたら、君は印象派を知らんのかね?失礼したね、現代の常識かと思ってたがねとな。」
安「腹立つ言い方!ちょっと絵に詳しい思うて!のどちんこ結んだろか。」
喜「そいで、わしはあの知ったかぶりの化けの皮剥がして、笑うてやろうと決めた。」
安「そやそや、あの若旦那が吠え面かくとこ、見て見たいわ。」
喜「噂をすればなんとかや。あれ見てみ、橋の向こう、若旦那がブラブラ歩いてきよる。」
安「ほんまや、茹でたキンメみたいな赤い着物や、ようわかるわ。」
喜「よっしゃ、わしに考えがある。あそこにな、道端で犬の絵描いとるおっさんおるやろ。絵を一枚もろてこい、買うてもええ。あの身なりや、5銭も出す言うたら売りよる。」
安「どういうことや?銭つこうてええんか?」
喜「かまへん、その何十倍も取り返すねん。わしらが顔揃えてる時に、若旦那が歩いてくるて、ここで会うたが百年目や、行ってこーい!」
安「はあはあ、買うてきたで。」
喜「犬の絵か。これで若旦那をキャン!と鳴かしたれ。」
安「しかし、こんな絵で何するねん?若旦那もアホやないで。」
喜「いやアホや。賢いと思うてる奴ほどアホや。あ、きたぞ、若旦那!若旦那!」
若「やあやあ、今日はお二人で。ご機嫌さんで。」
喜「おかげさんで。時に若旦那、若旦那ほどの通人にはお目汚しですが、この絵、見ておくんなはれ。」
若「ん?犬の絵か?」
喜「どないで?一見、下手ですが、しかし、これはよどほの目利きでないとわからん値打ちやそうで。」
若「まあね、私は書画骨董に関しては、まあ、町内随一の目やからね。」
喜「へえ、若旦那は書画骨董には大層、お詳しいと承っておりますです。」
安「あいつはええカモやと骨董屋のハゲチャビンが抜かしとんも承っておりますです。」
喜「てぃ!・・・へへへ、これは実は宮本武蔵の筆とちゃうかなぁ?と言われてるもんで。」
若「うむ。確かに武蔵は武芸のみならず、書画文芸にも優れ、あの五輪書をはじめ・・・」
喜「若旦那、ご講釈は後ほどお聞きします。それより、この絵、どないで。」
若「うーん、何か、紙が新しいような・・・」
喜「それは武蔵が発明した紙だからです、え、まさかご存知ない?」
若「そんなことは知っとる!武蔵は産業の振興にも優れた手腕を発揮したんや。」
喜「さすが、さすが若旦那!ようくご存知で。普通は知りませんよねぇ、そこまで。」
若「うむうむ。しかし・・・何で犬の絵ぇなんや?」
喜「それは、武蔵が戌年なんで。ご存知ないですか?」
若「そんなことは知っとる!わしは戌年やと五輪書に。うーん、線がふにゃっとしとるような。」
喜「あ、それは一乗寺下り松の決闘の後で、たぶん疲れてましたんや。知りまへんか?」
若「そんなことは知っとる!あれはさすがにわしも疲れたと五輪書に。でも、絵に覇気がないような。」
喜「あ、それは決闘が済んで、女と遊んだ後に描いたんで気が優しいになってたんです。」
若「うーん、武蔵は生涯、女には触れんかったと五輪書に。」
喜「武蔵ぐらいの達人になると、触れずに気持ちようなれます!当然、若旦那ご存知ですわなあ。」
若「そんなことは知っとる!念のための聞いただけでや、いやもう一目見てわかりましたよ。」
喜「さすがさすがさすが若旦那、一目で見抜くとは!さすが!宇宙で若旦那だけ。」
若「なんの、なんの、朝飯前よ。」
喜「あの実は若旦那、ご相談があります。最近ずうっと手元不如意でして、この絵、買うていただきたいんです。町内の貧乏人を助けると思うて。」
若「うむ、ご町内のお方を助けるのも、私のような立場の者の役目や。買うてやろ、買うてやろ。」
喜「おおきに。この絵、百円でございます。若旦那にしたら、鼻紙で使うてしまうような金額や思います。」
若「うーん、百円とな。高・・くはないけど。うん、百円ね・・・安いもんやね。」
喜「百円ぽっち、かえって失礼なことで。」
若「いつもやったら百円くらいね、今日は偶然とは言え、たった百円の金がないとは恥ずかしいことや。」
喜「いや、もうここで会うたんも縁ですさかい、えいっ!五十円で結構です。もってけ!」
若「むむむむ五十円か、安いなあ、うーん安い。安すぎますね。そやけど、これほんまにホンマ物?」
喜「あら?あら?若旦那、さっきご自身でこれは一目見て、と。お目に狂いが?いやいや、若旦那に限ってまさかまさか。」
若「安すぎるから、一応聞いただけや。よっしゃ五十円、いや三十円!いや、二十八円、もう一声、ぱん!二十七円五十銭!思い切って二十七円三十銭!ほれ、持っていけ!」
安「セコいなあ。自分で値切っとるわ。」
喜「売ったあ!(どんどんどん)!若旦那、おおきに!」
安「ははは、若旦那、それ、そこのおっさんが描いた絵ですわ。ざまあみろ、あはははは!さいならぁ!」
若「何やとぉ!・・・・くうう、だましくさって!おとうはんに言うたる、いや、言えん。恥ずかしいて言えんわ。ああ、二十七円三十銭・・・もう十銭でも値切りャアよかった。しもたなあ。うああ、武蔵の絵やったら高う売れる。ちょと小遣い稼ぎでもと思うたんやけどなあ・・・かあ、絵で小遣い稼ぎが、まさに絵に描いた餅になってもた。」
絵描き「いや、あんさん、それは絵に描いたポチです。」