「ヨンキュープラス」49歳以上のおじさんおばさんに正直なメディアをつくってみました。ご賞味ください。

「50代突入して変わったこと。」

コラム 伝えたいこと

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50にして店名も忘れる。

「40にして惑わず。50にして天命を知る。」だって・・・。近頃は、ランチに行くカフェの『店名』すらウッカリ忘れるような我々に、何をもって「天命」というのか?神様は、いつも無理なことをおっしゃる。

 

50歳を超えたらわかる。

ワタシたちオッさんは、そんな立派じゃない。昔のように、なにも背負っていない。考えてもみろ!!!平均寿命が60代の頃と、80歳を超えた今を。普通に死ぬまで、あと10年か?30年か?この違いは、大きいのである。寿命が長くなるほどに、天命がぶれていく。ブレブレである。

 

どうして死んでいくのだ?誰に看取られるのか?そんなこと考えている割には、煩悩にまみれている。もっとお金が欲しい。できることならモテたい。でもしかし、いまの政治はなってない。若い奴にもひとこと言いたい。贅沢だけど、家族には、もっと優しくされたい。そういえば、最近、会社でも、家でも、居場所がないな?あのカフェの名前ってなんやったっけ?

50歳も過ぎるとわかるのである。

もう何処にも辿り着かないってことが・・・。

天命とは、これほど凡庸なものなのか?ということが・・・。

凡庸な毎日の中に「答え」はある

所詮、そんなものであるなら、迷いに迷えばいいのである。押し寄せてくる煩悩をジャグリングできるような人生の術を持てばいいだけの話である。どこぞのカッコイイ雑誌に出てくるようなオッさんやオバさんを目指す必要などない。「答え」は、そんなところにはない。決してない。

 

ブレブレである。悩んでいる。そして、ちょっと開き直ってもみる。そんな凡庸な毎日の中に「答え」はある。天命など忘れた日常の中に、一生の「答え」はある。煩悩にまみれて、泣いて、笑って、食って、飲んで、死んでいく。

 

【市井の片隅に生まれ、育ち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。】

50歳になってわかったことは、ワタシたちは、決して特別じゃないということである。そんなことに打ちのめされるが50歳である。