年をとったおばちゃんやおっさんがモンスター化するのにはわけがある。
そのひとつがこれである。「どうせ誰もわかっていない」。薄々これがわかってくると何をやっても恥ずかしくなくなる。「どうせ誰もわかっていない」のだからという思考停止によって、恥ずかしい行為はあからさまになっていくという構図である。
「どうせ誰もわかっていない」のだけれども、もしかしたら何かわかることがあるかもしれないと考え続けることをやめないのが知性である。
「どうせ誰もわかっていない」のだけれども、ワタシのわかっていないと思っていることの範囲があまりにも狭すぎるんじゃね?と畏怖することが教養ってもののベースである。「どうせ誰もわかっていない」ことに気づいてからが、年老いたおばちゃんやおっさんの真の成長である。
誰も良くわかっていない中で生きている。
Webとテレビは、相性が良くない。紙メディアからWebへの誘導は難しい。そんなメディア論も言い尽くされた感がある。しかし、誰も「良くわかっていない」のが現状である。だって誰も経験していない情報環境を生きているのだもの・・・。
「どうせ誰もわかっていない」から、ヨンキュープラスは、頑張ってみるのである。もしかしたら何かわかることがあるかもしれないと考え続けてみたいのである。「どうせ誰もわかっていない」から、ぜひ、応援していただきたい!!!