「ヨンキュープラス」49歳以上のおじさんおばさんに正直なメディアをつくってみました。ご賞味ください。

ワタシは、未熟者である。

コラム 伝えたいこと

ボブ・ディラン,TNC,中村修治,本質,成熟社会,東日本大震災,宮城県,気仙沼

未熟な大人でも生きれる社会だった

東日本大震災から3ヶ月が経った2011年6月の末。ワタシは、宮城県の気仙沼に行った。瓦礫が覆い、異臭漂う街の小高いところにある市役所を訪れると、そこには安否を確認する数百枚の貼り紙が、今もなお揺れていた。生きているかどうかを確かめるシンプルなメッセージに、個人情報保護のどうのこうのは関係ない。なんの躊躇もなく、大事な人のために自分の名前と連絡先をさらす。復興を目指す現地の人々の行動に、グダグダな御託はないのだ。

3.11以前の日本のシステムを支えてきたのは、テレビで毎日報道されているような・・・子供だましの発言と行動を繰り返す幼い大人達である。御託を並べられるようになることが大人。御託に守られることが大人。そう教えられてきた未熟な大人達である。日本の成熟社会とは、未熟な大人達でも生きていける社会だったのだ。

私達は、そんな本質に気づきながらも、テレビの前であきれ果てたと言いながらも、幼稚な大人達が支えているセーフティーネットの中に、また溺れていく。まぁ、時間が解決してくれるだろう・・・。誰かヒーローが出てきてくれるだろう・・・。御託にまみれて、御託を並べる大人に、きっと、自分自身が帰っていってしまう。一流の大人なんておこがましい。

今日の自分の体たらくを視よ。こんなものなのである。自分の中の一流への憧れなんてこんなものなのである。結局、周りの目を気にして生きているばかりではないか。他人の噂話を追いかけているばかりではないか。アホくさい。元の木阿弥である。

・・・であるなら、せめて「未熟である」ことを認めようと思う。自分は一番ではないことをちゃんと受け入れようと思う。自分には、知らないことがごちゃまんとあることを自覚しようと思う。こうあるべきなんて御託を並べる大人にならない決意をしようと思う。そんな、未熟な感受性を纏うことこそが一流の大人への条件である。

ボブ・ディランは、「違法ダウンロードによって、音楽の価値を軽んじられていることをどう思いますか?」という問い『元々価値なんて無いんだから問題ないじゃないか。』と答えたという話がある。大人である前に、私達は、裸で生まれてくることしかできない人間なのである。