死ぬことは簡単ではない。
「光ってたから」という理由で瓶ビールの王冠を集めたりする。「白かったから」という理由で、砂をポケットいっぱいに入れて持ち帰る。生きているって不思議である。
自分が死ぬという経験をした人間はいない。自分の死は、誰も体験できていないのに、他者の死から自分が居なくなったときのことを考えるって、死ぬのもこれまた簡単じゃないわけである。
もうこんなにわからない当たり前の日常を平気で生きているのが人間なのである。なぜ死ねないのかというと、何もわかってないから生きてるしかないわけである。今日のいましか生きていけないから、生きているのである。
過去や未来は、一人の人間の希望と計画からうまれる
時間はそもそも存在しない。一人の人間が希望を持ったり、計画を立てたりするから、過去や未来はできるわけである。「白かったから」という理由で、砂をポケットいっぱいに入れて持ち帰ったりするから、過去や未来は出現するのである。
「一寸 待て ハードディスクは消したのか?」というコトバが、「死ぬのはよせ」という掛け声よりも効力があるのは、「死という今」しか考えてない奴に、過去と未来という時間を提供しているからである。
いまこうして原稿を書いているワタシのパソコンのハードディスクには、小学生時代に拾った王冠や白い砂みたいな、しょーもないものがいっぱい詰まっている。こんなもの残して死ねないわけである。ワタシの今が、あまりにもしょーもないことを実証するものが、ここにあることをわかっているので死ねないわけである。
めんどうくせぇ・・・。死ねない・・・。笑