人生の汚点とも呼べる期間がある。
就職した1年目の8カ月間の大阪で働いた時期である。新大阪の隣の駅である「東三国」の会社が指定するボロアパートに住んでいた。残業をして自宅に帰ってくると夜の10時をまわる。それから銭湯に出かけるのである。夜中に、ジャージ姿で風呂桶を手に銭湯に向かう。徒歩で5分もかからないところである。
ワタシは、その銭湯の行き帰りに2度もカツアゲにあった。相手は、若いチンピラである。銭湯に行く姿である。大金を持っているわけがない。そんなもんの金をカツアゲしようというのだから、きっと相手もたしたことない。
抵抗をするとパンチが飛んできた。向こうは2人である。結果としては、顔を腫らしながらポケットに入っていた千円くらいのお金を渡す。これが8ヶ月間で2度も起こった。たぶんあいつらは、いまごろ死んでいると思う。その筋の幹部にはなっていたりしないと思う。
いまだに、その時のことを思い出すとむかっ腹がたつ。「腕に自信があればなぁ」と思う。しかし一方で、「腕に自信がある」奴には、チンピラも声をかけて来なかっただろうなぁとも考える。
男として憧れる男像
喧嘩や戦争を巧みに遂行できる能力を持ちながらも、それを固い決意を持って防御的に振る舞う。そういう男に憧れる。そういう強さを持ちたい。大阪でワタシがカツアゲされたのは、間違いなくワタシが「弱い」からである。
手も足も出さないのに畏怖される。それが喧嘩や戦争回避のいちばんの方法である。男に生まれた限りは、そういう「強さ」を身に付けたいと思うのだが・・・未だに繁華街を歩いているときは「おやじ狩り」にあわないかとビクビクしている。風貌を「達磨」にするしか防御策がないのである。笑